汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かはころも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
懈怠(けたい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる・・・・・・
中原中也
皆さん、こんばんは。
札幌もようやくサクラがポチポチ咲き始めてきましたね~
これでGWの円山公園は「酔っぱらいの天国」となりそうです。
さてと。。今日は「文学爺さん」と扮してみました。
「宇宙戦艦ヤマト2199-追憶の航海」で、古代進の兄、守が好んで読んでいた中原中也詩集。。。
その中の「汚れつちまつた悲しみに。。。」という詩を冒頭に書きました。
短い詩の中に「汚れつちまつた悲しみ」という言葉が8回もリフレインされています。
松任谷由美の「リフレインが叫んでいる」の「どうして?どうして?」よりも多いかも。。
そんなことはどうでもよく。。汗
純粋な気持ちや志が、当時の欧米式近代化を急ぎすぎる、当時の唯物社会を覆う得体の知れない不安感により、維持できなくなったのでは?と感じます。
この詩を読んでいると中原中也が街を歩きながら「日本ってこれでいいのか?人々の変わりようはなんだ?」と不安を抱き、「悲しい」感情でいたことが想像されます。
しかし「悲しみ」から逃避するのではなく、それを受け止め「悲しみ続ける結末」を想像し成長しようという感情も詩の最後のほうで表現している。
この詩は昭和5年(1930年)に発表されたもの。。。
今の時代にとても似ていると思いませんか?今の人間が置かれている事情に似ていると思いませんか?
ねーーー。
僕も「純粋で正直でまじめ」に生きていきたいが、今の時代、そうもいかない。
「純粋で正直でまじめ」に生きれないことを、今の時代「かけひき」「成功」という言葉で
「純粋で正直でまじめ」に生きていると解釈させようとする。
人同士の付き合いも、表向きな教育で操作しようとしている社会。。
建前社会ともいうべきだろうか。。。
俺もすっかり汚れちまった。。みな、認め合い助け合って生きていけば。。と思う
「汚れつちまつた悲しみに、今日も仕事がふりかかる
汚れつちまつた悲しみは、明日のチャンスを与えられん
汚れつちまつた悲しみに、軽い感情ふりかかる
汚れつちまつた悲しみは、いつか喜び分かち合い」
登 宙返(のぼり ちゅうがえり)(笑)